古来から日本人が生活のなかで大切にしてきた自然と共存する精神性への理解を深めるために

旧暦の季節「月と四季」をテーマに授与所をしつらえ、縁起物を奉製し授与しております。

「神社は四季を感じる場所である」

 

私たちの遠い祖先は、暮らしのなかで四季のうつろいを感じながら生活していました。
自然の力を神のはたらきと考え、生命の尊さを実感し、山や川、岩や木に神をまつり、

自然を崇拝する場所として神社が建てられました。

 

昔は、自然に感謝する場として「生きやすさ」を求め、心を豊かにしていました。

対して現代では「暮らしやすさ」に重点をおき、自然への尊さを感じる機会が減りつつあります。

目まぐるしい日々を過ごしていくなかで、ふと季節のうつろいを感じる瞬間があります。
それは先人たちが見た、自然や生命の尊さを感じる心と同じものであり

神社は、昔も今も人々の心を豊かにする空間であり続けます。

​月と四季

神社とは四季を感じる場所であり、和布刈神社では日本人が古来より大切にしてきた四季の循環を

月の満ち欠けに沿った旧暦にともない、五感で感じる事のできる行事を執り行っております。

 

今季のテーマは「切火」。

火とは、人にとってどのような存在なのでしょう。 

原始の頃から存在し、人や獣も触れることができず、高ぶれば山の樹々を焼き尽くす脅威の象徴であると同時に、手許にあれば暖をとれ、食を豊かにし、光のゆらめきは心を癒しました。 

古代ネアンデルタール人も夜の焚火は語らいの場であったと伝えられ、火は生命維持の為に用いるだけではなく人の心にも必要な熱でした。  

 

落雷や樹々のこすれ合いから生まれていた火は時代とともに人の手から作り出せるようになり、江戸時代になると「付け木」という道具ができました。

付け木は木の皮を用いたもので、のちにマッチの原型となる代物です。

付け木で火を作る際はまず石と金を擦り、摩擦で火花を出す「切火」をはじめとし、 おが屑へ飛ばされた火花がじわじわと燻る部分に付け木の先端を添えると火が灯り、蝋燭へ灯すことで安定した火の元が作られます。  恵みをもたらすと同時に全てを焼きはらう圧倒的な力をもちあわせる火には神が宿り、この世の不浄も焼き祓う「浄火の力」があると信じられ、 場所や祭具に対しカチッカチッという音と共に「切火」を切ることで清める儀式をするようになりました。

その行為が庶民に広まると清める儀式の行為から、大切な人の災難を祓い縁起を想う心を重ね切火を切るようになりました。 現在でも切火はとび職や落語家、地域により花嫁の着付け後の送り出しに行うなど、生きる文化として残っています。  

 

五行思想で夏は「火の巡る時期」にあたり、夏の暑さは燃える炎のように人や場とのご縁がつながりやすい時期とも伝えられます。 束ねられたヒノキは燃えやすい材質から、火の宿る「火の木」と呼ばれ古来より神聖視されました。漢字の「檜=會」の成り立ちは「会う」の旧字体から「米を炊く周りに人が集い会う」意味があり、場所と人とがつながることを意味します。      

 

今季の縁起物の「火の木」は、場所や人との清らかなご縁をつなぐ願いが込められております。

毎朝神社の職員が切火で切り出した火にあて、背中で切火を切ってお渡しいたします。   

お受けになりましたらどうぞご自宅にお飾りください。

​月と四季|夏|

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神社とは四季を感じる場所であり、和布刈神社では日本人が古来より大切にしてきた四季の循環を

月の満ち欠けに沿った旧暦にともない、五感で感じる事のできる行事を執り行っております。

 

今季のテーマは「秋」古来から人々の生活と月は密接につながっていました。

特に農作業に従事する人々は欠けたところのない満月を豊穣の象徴とし

秋の収穫の感謝を込めて芋や豆などの収穫物を月に供えました。

しかし、稲穂はまだ穂が実る前の時期であることから、穂の出たすすきを稲穂に見立てて飾りました。

すすきを刈り取った茎の部分は鋭い切り口であり昔の人々はその鋒にもまた神を感じ

家に飾るようになりました。

 

今季の縁起物として、月に供えた「すすき」を授与しております。

和紙で折った花包みは、中央に月の影を表現しております。

すすきは時が経つにつれ黄金色に変化する様をたのしまれてください。

お受けになりましたらどうぞご自宅にお飾りくださいませ。

​月と四季|秋|

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神社とは四季を感じる場所であり、和布刈神社では日本人が古来より大切にしてきた四季の循環を

月の満ち欠けに沿った旧暦にともない、五感で感じる事のできる行事を執り行っております。

 

今季のテーマは、春の季語とされている柳。

柳が日本人のこころに深く分け入ったのは、朝夕の薄明のころ、その内部がことに暗く見える枝垂れの姿に異界、亜空間を感じて畏れたものと云われていました。

私たちは今もその感覚を保ちつづけながら、その空間に神を現出させていたのかもしれません。

 

春の田植えの際、予祝の祭祀として柳の枝を伐りおろし、田、池に刺し根が生えるかどうかでその年の収穫を占ったと云われております。拠水植物である柳は、豊富な水源を象徴し枝のしだれる姿が稲穂の垂れることを連想させたため、神の依り木としても用いられてきました。

 

柳は枝を泥に挿しておくだけで容易に根づく。それは、日本にある柳すべてが雄の木であり生命力の強い植物である上、さらに墓の木として定められたのならば、およそ木の中で人々に独特の感情を与え、別れの哀情を一層掻き立てるための素材として、送る人も送られる人も同じ気持ちになり存在するだけで自ずと一株の哀愁が周囲に充満し、形態の上でも習性の上でも、古代の人にとって信仰の象徴あるいは祭具として最も深く生活に浸みこむ木とされてきました。

こうして日本の柳は一五〇〇年ほどの歳月を生き継いでいると伝えられております。

 

今季の縁起物の「朧月」は、旅立つ人との再会の願いが込められております。

お受けになりましたらどうぞご自宅にお飾りください。

​月と四季|春|

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